文:松浪健四郎(文部科学副大臣)
体大時代、全日本学生選手権優勝を経て、東ミシガン大学にスカウトされる。その後、NYアスレチッククラブ所属選手となり、全米レスリング優勝。専修大教授から1996年より衆議院議員。
使わなくなったランドセルをアフガニスタンの子どもたちに送る活動のキャンペーンに参加する松浪健四郎議員(後列右から二人目)
パキスタンの支援会議のため、イランのモータッキ外務大臣が来日された。イラン大使館から連絡をうけ、大使公邸での夕食会に出席する。イラン政府は、私が自民党外交部会長であるまえに、イランの理解者だと認識してくれている。「イラン通」との認知。
モータッキ外相は、私が初当選した時には駐日イラン大使であられた。イラン友好議員連盟のメンバーとなった私は、熱心に活動し、大使とも交流をもつ。1973年、レスリングの世界選手権が首都テヘランで開催されたが、私は選手兼コーチとして参加。初のイスラム教国に滞在してペルシア文化と接した。
以来、イランに興味をもち、イスラム教文化に触れ続けてきた。74年にはアジア大会がテヘランで行われ、私は開会式の指導とレスリングコーチとして再訪する。また、歴史上、名だたる地方へも足を延ばす。
そして、75年には隣国のアフガニスタンへ日本政府から派遣され、3年間滞在する。その間、休暇のたびにイランを旅行した。だからイランについても私は研究上のフィールドにしたのである。とくに力技「ズルハネ」という体操を研究して論文にまとめたこともある。
さて、モータッキ外相と2年ぶりの再会だが、イランと国交のないアメリカとの接近を感じた。これは大きな変化であり、オバマ外交の進展を意味する。イランとアメリカの国交回復がないかぎり、中東の安定やアフガニスタンの平和は実現しないと決めつけてきた私にとって、収穫だと映った。
具体的に書けないのは残念だが、私の政治テーマの一つは両国の国交回復、それゆえ水面下で諸国の活動を展開してきた自負がある。だんだんと実る方向にあるのは嬉しいが、これからが本番だと思う。頑張りたいと決意する。
一国を理解するには、歴史、文化、宗教、民族等の知識が求められる。表面上の知識だけでは外交はできないのである。モータッキ外相は、「ペルシア文化を松浪先生から学ぶ」といわれたが、更に私の使命は大きくなったと痛感した。
さて、パキスタン支援会議は、イランの3億5千万ドルの拠出もあって50億ドルも集まった。これで、ザルダリ大統領もアメリカの期待に応えねばならなくなったと私は思った。で、パ軍は、アフガンからタリバンが支配していた地域を攻めるに至った。
パキスタン政府の協力なくして、アメリカ軍の増派が生きてこないのである。かの地域の平和は、隣国イラン、パキスタンの協力なくして達成できないと断言できる。秘かに私が協力できて嬉しく思う。
