文:松浪健四郎(文部科学副大臣)
体大時代、全日本学生選手権優勝を経て、東ミシガン大学にスカウトされる。その後、NYアスレチッククラブ所属選手となり、全米レスリング優勝。専修大教授から1996年より衆議院議員。
夏の甲子園、全国高校野球選手権大会の開会式で祝辞を述べる松浪衆議院議員
ロッキー青木氏が死去された。私たち若きレスラーの憧れ、まさにヒーローだった。アメリカでの氏の成功は、日本人青年に大きな夢を与えた。私たちは影響を受け、レスラーたちは、アメリカへ、アメリカへとなびく。 メキシコ・オリンピックの予選で敗退した私は、アメリカ遠征日本代表選手に選抜された時、留学を決意した。すでに日本人レスラーは数多く留学中で、アメリカのマットで活躍し、その情報は私たちに伝わっていた。 米1ドル360円、教員の初任給が25000円の時代、相当な富裕な家族の者でしか留学できなかった。が、日本のレスリングのレベルは世界的に高く、アメリカの各大学は“助っ人”としての日本人レスラーをスカウトしようと熱心だった。各大学はスポーツ奨学金制度をもっていて、全額免除も一般的で、私はこの制度を胸に渡米。 ロッキー青木氏は、慶応高からレスリングに打ち込み、慶応大に進学して頭角を現し遠征代表となる。しかも全米選手権大会で優勝し、進学せずにアルバイトで金を稼ぐ。アイスクリーム売りは有名だが、実家は東京・日本橋の「紅花」という一流レストラン、商才もあったのだろうが大成功した。 まさにアメリカン・ドリームの達成者、レスラー界のヒーローとなる。その後の数々の活躍は知られる通りだが、青木氏の4回目の結婚式に私も招かれた。隣の席は竹村健一氏だった。私が代議士であったことと日本レスリング協会の副会長に就任していたからだったと思う。 くわえて、その昔、私は青木氏の成功物語を雑誌に連載したことがあった。青木氏から感謝の手紙をいただいたが、以来、クリスマスカードが届く。が、私はニューヨークに行っても一度も氏のもとを訪れたことがないが、奥様からいろんな連絡をいただく関係。 日本人レスラーのオリンピック入賞者に賞金を出したり、協会への寄付もされた。ともかく、レスラーとして最も大きな話題を提供してくれたヒーローだったと述懐する。 このヒーローの死から一息おいて、野茂英雄投手の引退が報じられた。彼もアメリカン・ドリームの達成者であろう。日本野球の実力をアメリカ人に認識させたパイオニア。業績は偉大というしかない。他国で活躍するには、信じがたい精神力と才能がなければ困難である。このヒーローを私たちは高く評価せねばならないと思う。
