文:松浪健四郎(文部科学副大臣)
体大時代、全日本学生選手権優勝を経て、東ミシガン大学にスカウトされる。その後、NYアスレチッククラブ所属選手となり、全米レスリング優勝。専修大教授から1996年より衆議院議員。
首相官邸にて日本プロスポーツ大賞を受賞した浦和レッズの選手、福田総理、森元総理
R・アミテージ元国務次官は、日本でよく知られた政治家であった。親日家であるとともに、アジア政策のトップランナーでもあった。この政治家が表舞台から去ると、米国政府内に日本通がいなくなったと心配した。
とりわけ日本の軍事問題の専門家であり、日本の安全保障問題を熟知する指導者として幅をきかせた。日本のメディアは、このアミテージ氏をマークし、彼の発言の影響力は群を抜いていた。存在感があって、国務長官よりも日本ではアミテージ氏をたよっていた。
「京都議定書」にそっぽを向く米国に対し、日本政府は陳情団を組織して訪米する。外務大臣政務官を拝命していた私も団員になり、ホワイトハウスを訪れ、そこでアミテージ国務次官と初めて会った。そのおり、氏は、私を「チャンピオン」と呼ばれた。
1969年の全米レスリング選手権大会(於デトロイト)で優勝した私について、氏は調査ずみだったのだ。以来、幾度も氏と会談したけれど、いつも「チャンピオン」と私を呼ばれたのが懐かしい。ホイットマン環境庁長官を紹介してくれたのもアミテージ氏であった。
長官に、「京都議定書に署名していただきたい。米国の不参加は地球温暖化を助長させます」と、私たちは熱心に説いて回ったのである。CO2の排出量が世界最大の米国が、京都議定書を無視するのは理不尽なことだった。
さて、私が「チャンピオン」になったのは、ミシガンからニューヨークに移り、NYACのゲストメンバーになってからだ。毎日、私はセントラルパークをマラソンランナーよろしくロードワーク。メトロポリタン美術館の周辺を走り回った想い出が、いつも私の脳裏に宿る。もう忘れてしまったが、セントラルパークについて私は詳しかった。
昨年11月、1人の米国人が旭日重光章の叙勲を受けた。文化庁関係者だったので、文部科学副大臣の私の手元にもリストが回ってきた。フィリップ・デ・モンテベロ氏で、なんとメトロポリタン美術館の館長であられた。
経歴を見ると、「日本の美術品を常設展示する日本ギャラリーを開設、日本美術を評価したうえで世界に向けて紹介された」という。この功績が叙勲の対象となった。私は嬉しかった。日本の美術・芸術の紹介者としての「チャンピオン」が、モンテベロ館長だったのである。
セントラルパークを走り回ったレスラーが、やがて、その中の美術館長を顕彰するようになった。不思議な縁だと思っている。
