文:松浪健四郎(文部科学副大臣)
体大時代、全日本学生選手権優勝を経て、東ミシガン大学にスカウトされる。その後、NYアスレチッククラブ所属選手となり、全米レスリング優勝。専修大教授から1996年より衆議院議員。

安倍総理主催観桜会にて、後援会の皆さんと二階先生を囲んで。
40数年前、日本全国で「ボーリング」ブームが沸き起こった。Gパンやジャズの普及と同時に、アメリカ文化の代表格として「ボーリング」熱が燃え盛った。
どこへ行っても、郊外や駅前にボーリング場が建ち、老若男女でごった返していた。あの単純なゲーム、意外性もあって、日本人に受容されたようだ。プロボーラーが出現し、TV番組も多数みられた。
ところが、ブームが去ると、多くのボーリング場はスーパー・マーケットへと転じた。これもアメリカ文化の特徴的な施設、やがて日本国中の商店街の火が消えて行く。
「ボーリング」は、アジア競技大会の正式種目の中に入っており、各大学にはボーリング部がある。で、最近、静かなブームが再来、スポーツ店ではグッズを置く店が増加中だ。
留学時代の私は、キャンパスのユニオンにボーリング場が設けられていたので、暇をみつけては興じた。おかげで上達し、アベレージも高かった。当時、米国でもボーリング熱は高く、NYCでも人気があった。
ウォール街をさらに下るとボーリング通りがある。よく調べてみると、この通りこそが「ボーリング」の発祥の地であると識る。しかも、もともとは、オランダのゲームだったという。オランダ移民が伝えたのだ。
マンハッタンが、ニューアムステルダムと呼称されていた頃、バーボンを飲む労働者たちが、賭博として「ボーリング」を楽しんだ。正確には「ボーリング」ではなく、ピンが9本の「9支柱」と呼ばれるゲームだった。
ところが、酔った労働者たちはゲームがもとで暴れたり、ケンカが絶えず、ついに禁止令が出された。が、知恵者がいたのである。 9本のピンに1本を加え、現在の「ボーリング」にゲームを改めたのである。おもしろさが倍化され、またたくまに普及したらしい。 オランダのゲームが米国産に転じ、やがてアメリカ文化の代表的なゲームとなったのだ。
米国で誕生したスポーツには、純粋のものとしてバスケットボールやバレーボールがあるけれど、他国から移入したものに手を加えて、新しいスポーツにしたものも多い。野球もフットボールも、その代表的なものである。
野球は英国のタウンボール、フットボールはラグビーからの変化。米国人は独自の工夫をして、より過激で、よりおもしろいゲームを完成させた歴史をもつ。
既成のものに、工夫する知恵を私たちも持ちたいものだ。
