文:松浪健四郎(文部科学副大臣)
体大時代、全日本学生選手権優勝を経て、東ミシガン大学にスカウトされる。その後、NYアスレチッククラブ所属選手となり、全米レスリング優勝。専修大教授から1996年より衆議院議員。
アフガニスタンから来日したジャーナリストから議員会館にて取材される、アフガニスタン国立カブール大学客員教授の経歴も持つ松浪健四郎議員。
最近の日本におけるアメリカの話題は、ほとんど安全保障についてである。文化や生活など、アメリカ人の暮らしが伝わってこない。
やはり、イラク問題が重くのしかかっているのだと痛感する。イラクやアフガニスタンでのアメリカ兵犠牲者数をみれば、のんびりと楽しく本土で暮らす人びとの報道なんてできないのは常識であろうとも思う。
私がNYCで生活していた時代、ベトナム戦争でアメリカ国家と国民が苦しんでいた。だから、現在の状況と酷似する。
その時代を想起すると、NYCに住む日本人社会は、戦争に無関心だった。国籍が異なるうえ、国にたいして義務も責任も負わない浮草のような存在だったから、肉親が戦場にいない現実もあったから、「ワレ関せず!」。
浮草であるがゆえ、時流や雰囲気に流されると思いきや、意外にそうではなかった。1ドル360円の時代、必死になって働かねば生活費も学費も調達することができなかった。
NYCに滞在する日本人の社会では、想像を超す“格差”がみられた。いま、日本社会で、その“格差”が政治問題となっているが、その縮図をNYCで体験した。で、その体験が私のエネルギーだと表現してもよいかもしれない。“格差”が生じるから努力する…。
NYCに住む日本人は、大きく分けて三分化されていた。まず、ネクタイ族がいた。商社マンや外交官がそれにあたる。高収入が約束され、郊外の立派なアパートで家族と共に暮らすことのできるエリートたち。クイーンズの高級住宅街などで外国生活を楽しむ。
次に、日本からの仕送りがあって、学業や研究、文化的修行に打ち込めるエリート予備軍。アメリカから奨学金を得て、目的をもって生活することのできる人たち。私たち貧乏学生からすれば、とてもうらやましい存在だった。
最後は、昼も夜も働きまくる、ビザの心配をする苦労人たち。日本クラブか総領事館に時々足を運び、日本の新聞を読むのが楽しみだった人びと。私はこの部類の1人だったと述懐する。
ベトナム戦争で、アメリカが苦しんでいても、NYCで必死に生きる日本人には、その苦しみを共有する余裕がなかったといえる。意識においても大きな“格差”が、同じ日本人にあったのだ。国家の苦しみを理解するには、それなりの暮らしをする必要がある。
私たちは、イラクやアフガニスタンにおいても、アメリカのできない人道支援を行なうべきだと考える。それが日本の余裕だ。
